しろねずみ日記

あれやらこれやらほにゃらら

中南米で「K-POP産業最大の成功」

2012年から数年中米の片田舎で暮らしていました。

2012年の春、10代が見るっぽい音楽番組を現地で見ていたらSHINeeのリンディンドンが視聴者からリクエストされた。

その時はMCは歌手も曲も分からない感がモロに出ていたし実際曲はかからなかった。

 

けどMVのコメント欄はスペイン語のものも多くあったし、どこでもネットさえあれば人気あるだろうなという認識だった。

日本人が名前も知らないような中米の国でも、当時冬ソナは放映済だったし、市民の間に「ドラマの韓国、車の日本」という印象が出来上がっていた。

大体遠くの国では一緒くたにされる、中国じゃない東アジアの国々がそれぞれ別物という認識があることにかなり驚いた。

 

こうしてじわってたKポ人気がPSY江南スタイル(12年夏)で爆発。

江南スタイルの替え歌を使ったCMが登場したり、ショッピングモールで延々かかっていた。

長距離バスのターミナルではSUPER JUNIORのMVが流れていて、モニターに釘付けになった。

仕事で利用していた印刷屋にはSHINeeの写真を持ち込んでオリジナルグッズを作る中高生を見かけた。

 

 路地のコピーDVD屋では韓国ドラマシリーズが多数。(ちなみに日本ドラマは『 1リットルの涙 』だけ)

その中にKPOPのMV集があったので購入したら(100円。現地の友達にあげて帰国しました)最初に出てきたのはMBLAQ

 

スパニッシュ風味の「モナリザ」(2011年)を歌ったMBLAQは海外で行われるK-コンで大人気だった。あのリズムにヨーロッパでも中南米でもファンが「ひゃあ♡」ってなった模様。

 

せっかくいいネタあったのにそこを拡大しなかったMBLAQ運営。日本活動だってせっかく良いタイミングでいい成績で、上手くいきそうだったのに勝手にフェードアウトして、社長だったピ(Rain)は自分を超えて欲しく無かったんじゃないかと疑いたくなる。

あのままMBLAQがラテン路線で行ってたらSJより先に中南米成功者になってたかもしれないんだけど。

 

その後も度々行われていたK-コン in 中南米でビジネスチャンスに気付き、また最適なタレントがいたのがSMエンタ。

 

元々現地で人気があったSUPER JUNIOR。

サービス精神旺盛の彼らが「MAMACITA」 (2014年)をリリース。

 

訳しただけじゃ伝わらないニュアンスを含むママシータがタイトルに!ってのもビビりましたけど(ママシータ=かわい子ちゃん、お姉さん、お嬢さん)遂にきた!!中南米のみなさん、やりましたね!!!(T-T)と思いました。

 

そこから4年

英語西語入り交じったDespacito(デスパシート)が「恋のマカレナ」(♪エ~  マーカレナ   アーイ♪)以来の全米大ヒットを記録し世界を駆け巡ったタイミングでレスリー・グレースとのコラボをSJに用意

 

Despacitoを上回る英語西語韓国語の3カ国語ソングの「Lo siento」を発表。

「MAMACITA」が中南米のSJファンと楽しむための作品だったのとは異なり、「Lo siento」はレスリーを起用したことで北中南米K-POPファン以外にも届く楽曲となりましたね。

こうしてSJは「K-POP産業最大の成功」を中南米で収めるに至りました。

 

 中南米への移動はめちゃくちゃしんどいものですが文句言わず与えられた仕事に真摯取り組んでいるSUPER JUNIORの三十代さん達。

さすが大人。

兵役を終えた今の雰囲気、すごく素敵ですよね。

 


SUPER JUNIOR、中南米4ヶ国公演で3万5千人動員…「K-POP産業最大の成功」と現地で報道 - MUSIC - 韓流・韓国芸能ニュースはKstyle